
1975年”甲府事件”現場に遺された放射性物質と”UFOの原子炉”の謎/雲英恒夫
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日本の科学的UFO研究団体、JSPS(Japan Space Phenomena Society)の上級研究員・雲英恒夫が、有名なUFO遭遇事例「甲府事件」の確たる証拠を確認した。驚くべきデータを紹介しよう。
文=雲英恒夫
1975年の第3種接近遭遇
「甲府事件」とは、昭和50年、1975年2月23日、日曜日の夕刻に山梨県甲府市のブドウ畑で、第3種接近遭遇(至近距離でのUFO搭乗員との接触)が発生したという事例だ。そこでは、7歳の少年2人がUFOを目撃し、その後ブドウ畑に着陸したUFOを発見している。さらに、その物体に近づいたとき、突如、ヒューマノイド(異星人?)に後ろから肩を触られたという体験もしている。少年達はあまりのことに自宅に逃げ帰ったというーー。
このUFO自体は複数の目撃者がおり、彼らの親たちも、子供達の指差す方向に、空中に消えゆく謎の光体を目撃している。また、後日着陸したと思われるブドウ畑のぶどう棚の支柱が折れていたという情報もある。

当事者の二人の少年がそれぞれ別々に描いた、UFOと異星人の姿。(JSPS 大阪支部長 林一男氏ライブラリーより)
甲府事件は主な証言者が子供だったということもあり、長い間、各方面から疑問視されていた。だが、今回の雲英レポートは、“その時その場所に決してあってはならない確実な証拠”を突き止めている。
結論からいえば、
・甲府事件の現場に、放射性同位元素32P(リン32)が存在した。
・甲府事件の現場には、原子炉が出現していた。
ということになる。
事件当時の1975年に作成された「M-レポート」を再解析して、上記の事実が判明したのだ。
現場の放射性物質についての克明な記録
有料ウェブマガジン「ムーCLUB」2020年8月に配信した記事分のまとめです。
1975年”甲府事件”現場に遺された放射性物質と”UFOの原子炉”の謎/雲英恒夫
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