
「先代旧事本紀大成経」事件の裏面史・伊雑太神宮の謎/菅田正昭
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天照大御神が鎮座する、伊勢内宮の別宮、伊雑宮(いぞうのみや)の分社が、江戸の市中にあった! それはいつ、どのような目的で祀られたのか?
隠された歴史の真実に迫る。
文=菅田正昭
八丁堀・天祖神社の霊性
伊雑太神宮という名の神社を、ご存じだろうか? 「伊雑」と書いて「イゾウ」あるいは「イサハ」などと訓むが、ここでは「イソベ」。東京都中央区八丁堀3-6-6に鎮座する天祖神社の旧社号だ。
その由緒について『江戸名所図会』「巻之一天枢(てんすう)之部」(1800年)は、次のように記している。
「寛永元年甲子(きのえね)(1624年)、伊勢長官出口市正某(でぐちいちのかみそれがし)、伊雑宮より移しまゐらせ、(日本橋)通三丁目に営めり。同十年癸酉(みずのととり)(1633年)、いまの地へ移し奉るといへり」
伊勢長官とは伊勢神宮の祭主のことらしく、大中臣を称する藤波氏の世襲職だったので、おそらく自称か僭称(せんしょう)ではないかと思われる。
出口姓は外宮の度会(わたらい)神主の苗字のひとつで、外宮権禰宜(ごんねぎ)の出口延佳(のぶよし)(1615〜1690年)は伊勢神道家としてその名を知られている。市正とは神社に市が立つとき、その市を取り締まる役職名のようだ。

境内にある石碑には、「伊雑宮分社」の文字が見られる。
伊雑宮の江戸分祠
ここで注目したいのは、出口市正某が寺社奉行に願いでた背景の時代相だ。
当時、伊雑宮が鎮座する志摩國答志郡(しまのくにとうしぐん)磯部村では、伊勢三宮説が盛んに唱えられていた。神宮司庁発行のパンフレット「皇大神宮別宮 伊雑宮」には、この伊勢三宮説について次のように書かれている。
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