
記紀から読み解く縄文極孔神信仰の痕跡と天照大神の正体/斎藤守弘・極孔神仮説(完)
前衛科学評論家を自称し、UFOから超古代文明まで視野を広げていた故・斎藤守弘氏は、晩年に「縄文のビーナス」に着目し、古代「極孔神」信仰についての研究を重ねていた。遺稿をもとに、原始日本の精神文明を解き明かす全4回シリーズ完結編! (1回目)(2回目)(3回目)
文=羽仁礼(一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員)
編集=高橋聖貴
縄文時代には太陽神信仰の形跡がない
前回まで、故斎藤守弘の「極孔神」仮説と、「縄文のビーナス像」は極孔神を具象化したのではないかという説について、それらの概要を紹介してきた。斎藤が、極孔神信仰と日本最古の書物である『古事記』や『日本書紀』、いわゆる『記紀』の記述に関連を見出していることは、この連載の第2回でも触れた。さらに斎藤は、『記紀』における神代の記述は、実は縄文時代に実際に起きた事件をもとにしている、とも主張する。
豊玉姫のお産の図(出典)。
たとえば『古事記』には、火遠理命(ほおりのみこと)の妻である豊玉姫(とよたまひめ)が出産の際、八尋(やひろ)の大鰐(おおわに)の姿になったとの記述がある。斎藤守弘はここにも極孔神信仰との関連を見る。
それは、『日本書紀』における同様の記述を根拠としている。『日本書紀』では、火遠理命は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と記され、豊玉姫はお産の際、竜に化身していたことになっている。
斎藤守弘によれば、竜は縄文三大至高神のひとつ、翼のある蛇の名残である(縄文三大至高神の残り二つは女性極孔神と男性月神)。そして豊玉姫が属する海人の一族では、縄文三大至高神の伝統が生きており、お産の際には極孔から魂を運んでくる翼のある蛇、つまり竜の模様のある衣装を身に着けたのではないかと推測している。
同様に斎藤守弘はその独自の見解に基づいて、天照大神が太陽神であるという、日本の常識とも言える考えにも疑問を呈しているのだ。その根拠はどこにあるのだろう。
冒頭で述べたように、斎藤守弘は『記紀』の記述は、縄文時代に実際に起きた事件を反映していると考える。そこで天照大神が太陽神であるためには、縄文時代にも太陽神信仰が存在しなければならないと想定した。しかし不思議なことに、縄文時代には太陽神信仰の形跡が見当たらないのだ。
たとえば古代エジプトでは、古代から太陽神についての記述が残っており、太陽を表す円盤を頭上に頂いた神の肖像が多く残されている。古代エジプトと異なり、文字のなかった縄文時代については、各地の遺跡から出土した遺物を調べるしかない。そこで斎藤守弘は 博物館や文化財センターで何千、何万にのぼる縄文土器などの遺物を観察した。しかし、明確に太陽神信仰を示す遺物を見つけることができなかったという。その代わりに見つかるのが、縄文のビーナスをはじめとする、極孔神信仰につながるものなのだ。
斎藤守弘の指摘を知り、筆者も可能な範囲で縄文時代の遺跡や遺物を調べてみた。すると斎藤の言う通り、明らかに太陽を示す遺物や、縄文人が太陽を神として崇拝していたという証拠は見つからなかった。
確かに岐阜県の金山巨石群や秋田県の大湯環状列石のように、太陽を観測するための装置を持つ遺跡は各地にある。しかしこれらは、夏至の日の太陽の位置など、生活に重要な季節の変わり目を知る暦のような存在である。太陽を神として崇拝していた証拠ではない。
斎藤守弘は、縄文時代には太陽神崇拝はなかったと結論する。とすると、天照大神は何だったのか。
金山巨石群(写真=Opqr/Wikipedia)。