
ナイフを持ってきてくれ/読者のミステリー体験
「ムー」最初期から現在まで続く読者投稿ページ「ミステリー体験」。長い歴史の中から選ばれた作品をここに紹介する。
選=吉田悠軌
ナイフを持ってきてくれ
大分県 40歳 則行英樹
以前、私が勤務していた某地方都市にある総合病院の7階での出来事だ。
初秋のある夜のこと、救急外来から70代の男性が肺炎の治療のために入院してきた。重症というわけではなかったが、あいにく軽症部屋が満床だったので、ベッドが空くまで重症部屋で抗生物質による点滴治療が行われることになった。
家族によるとその男性は日ごろから物忘れがひどく、会話の途中で急に怒りだしたり泣きだしたりすることもあり、近所のかかりつけの医者から認知症と診断されているとのことだった。
そのせいか、入院した晩からその男性は不穏状態(落ち着かず安静を保てない状態)になった。
「おーい、早く来てくれ、ナイフを持ってきてくれ!」
などと大声で叫ぶのだ。
高齢者の場合、環境が変わると気持ちが落ち着かなくなることがよくある。まして認知症があるうえに肺炎を患い、一日中点滴につながれていればなおさらのこと。
その夜は当直医の指示で安静を保つために鎮静剤の注射を打ち、なんとか静かにさせることができた。
しかし次の日の夜になると、
「おーい、おーい、お願いだ、早くナイフを持ってきてくれ!」
と、またしても前夜と同じことを叫びだしたのだ。
「どうしてナイフなんか必要なんですか?」
夜勤の看護師が男性に尋ねてみた。すると男性からとんでもない答えが返ってきたのである。
「女が入ってくるんだよ。俺の前を通って隣の人のベッドのところに行って悪さをするんだ」
前夜の出来事を聞いていた看護師は、医師の指示通り、男性に鎮静剤を注射。やがて男性は静かになった。
翌日、軽症部屋が空いたので、この男性はそちらに移った。
すると不思議なことに、その日の夜から、二晩続けてあれだけ大声で叫んでいたのがウソのように男性が落ち着き、ぐっすりと眠るようになった。しかしそんなことはときどきあること。病棟スタッフは特に気にも留めなかった。
次の日の夕方、30代の男性が気管支喘息発作で入院してきた。酸素吸入ができる部屋がいいという主治医の指示はあったが、あいにく例のナイフをほしがった男性がいた重症部屋しか空いていない。しかたなく一晩だけその部屋で過ごしてもらうことにした。
その翌朝のことだった。看護師が検温のために病室を訪れると、その気管支喘息発作の男性からこんなことをいわれた。
「看護師さん、信じてくれる? 夜中そっち(ナースステーション側)から女の人が音もなく入ってきてね、隣のベッドの人をジーッと見下ろしていたんだ」
その隣のベッドの人とは、すでに意識がなく人工呼吸器がなければ命が維持できない、極めて重症の患者さんだった。重症ながら症状は安定していたが、この日、急に心肺停止状態になり亡くなった。
もしかしてその女性の正体は、俗にいう死に神だったのだろうか。
(ムー実話怪談「恐」選集 選=吉田悠軌)
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