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コロナ騒動で思い出す70年代”終末ブーム”の渦/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想。
今回から、世界を覆ったコロナ禍の中で振り返った「あのころの終末」シリーズをお送りします。

文=初見健一

世界が終わってしまうかもしれない……

 まだまだ予断を許さない2020年のコロナ禍。緊急事態宣言前後の感染拡大期には、今まであまり体験したことのない嫌な緊迫感をヒシヒシと感じながら日々を過ごした人も多いと思う。
 すでに宣言直後の深刻な気分や危機感は少々薄れてしまっているのだが、僕も同様で、ニュースを見るたびに目の前が真っ暗になるような気がした。アジア、アメリカ、そしてヨーロッパで爆発的に増え続ける感染者数・死者数……。「いったいこれからどうなってしまうのか?」といったことを心底本気で考えながら、暗澹たる気持ちになってしまった。

 その一方で、これはいかにも不謹慎な話なのだが、なにか妙な興奮、「懐かしい高揚感」みたいなものも抱いていた。正直に白状すると、ある種の妄想のレベルでは「ワクワクしている」としか表現しようのない感情があったのだ。当初は自分でも「なんだ、この感覚は?」と首を傾げていたが、しばらくして思いあたった。僕らの小学生時代、1970年代から80年代にかけての「終末ブーム」のころ特有の「気分」。あの奇妙な「ワクワク」が、40年ぶりによみがえってきていたのだ。
 こういう状況、「世界は終わってしまうかもしれない」「人類は滅亡してしまうかもしれない」「文明は崩壊し、地球は動植物の楽園に戻ってしまうかもしれない」……といったことを半分本気で、半分はある種の遊戯として考えてしまうような状況を、僕ら世代は少年期に体験している。この恐怖と絶望の日々の「感じ」を、僕らはすでに知っている。そこに懐かしさと興奮があったのだと思う。

児童雑誌に氾濫した大迫力の「終末画」

 1970年代の「終末ブーム」勃発の経緯については、70年代カルチャーの成り立ちとして非常に重要で、逐一追っていけばどんどん長くなってしまうので、また別の機会に書くことにする。
 ここではあくまでも大雑把に捉えるが、まず前提に「冷戦」があり(これはあらゆる文化にニューロティック=神経症的な不安に類する影響を与えた)、さらに社会問題となりはじめた環境破壊問題(当時は「公害」と呼ばれ、多くの子ども文化のコンテンツのテーマに設定された)が重なった。これらを土台として、出版史上最大のヒットとなった小松左京の『日本沈没』が刊行、さらには映画化もされる。直後に登場したのが「終末ブーム」の実質的な「起爆剤」となった五島勉の『ノストラダムスの大予言』だった

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『恐怖の予言大全科』(1987年/秋田書店)より。「ノストラダムス」のブームは80年代に入って若干沈静化したものの、90年代が近づくにつれて子ども文化のなかで息を吹き返した。問題の「1999年」が見えてきたタイミングだったのだろう。

 これらによって以降数年間の児童雑誌の巻頭(当時はイラストを多用した巻頭特集を掲載するのが児童雑誌の定番。『週刊少年マガジン』の大伴昌司監修「大図解」などが代表的コンテンツ)などに、小松崎茂石原豪人など、錚々たる挿絵画家たちの「終末画」があふれかえることになる。
 第三次世界大戦、大地震、大津波、隕石の衝突、食糧危機、さらには宇宙人の襲来など、さまざまな要因による「人類滅亡」を描く阿鼻叫喚の地獄絵図である。エネルギッシュに、ショッキングに、ときにグロテスクに描かれる天才絵師たちの作品に、「未来はこうなる!」「人類はこうして滅ぶ!」「世界の終わりは近い!」といった煽りまくりの見出しが踊った。

終末1

1968年の『週刊少年マガジン』(講談社)に掲載された巨匠・小松崎茂作「そしてだれもいなくなった……」。人類滅亡後、廃墟と化した都市はジャングルとなり、野生動物が跋扈する「楽園」になっている。今回のコロナ騒動でも外出禁止の街に野生動物が出没する現象が世界各国で見られた。

 これらの「終末画」は先述した通り、いくつかの社会的背景や終末感に満ちた書籍のヒットを背景にしているが、具体的な絵柄に直接影響を与えたのは、1968年に公開された映画『猿の惑星』だと僕は思っている。自由の女神の片腕が荒れ果てた地面から突き出ているラストの構図(ポスターにも使用された)は、日本の子ども文化のなかで「終末画」を量産する絵師たちに強烈なインスピレーションを与えたようだ。たった一枚の絵柄で「ついに世界は終わった」という絶望を表現するモチーフとして、『猿の惑星』のラストの構図はさまざまにアレンジされて用いられることになる。

終末画3

1972年の『小学五年生』に掲載された異端の絵師・石原豪人の「科学画報 地球最後の日」。学習雑誌にこの内容! 破壊される大仏の描写がシュールかつ強烈だが、これも『猿の惑星』の自由の女神にヒントを得た着想だったのかも知れない。それにしても大仏の顔を中央にドカンと置くセンスはまさに石原豪人ならではの「奇想」である。

「世界の終わり」はある種の娯楽だった

 子ども文化における「終末ブーム」は、今思えばとんでもない内容の流行だ。子どもたちの将来への希望を絶つ機能を持った娯楽である(当時の大半の子どもたちはその危険な綱渡りをうまくこなす「オカルトリテラシー」を実は持っていたのだが)。当然、教育者やPTAは例によって大騒ぎしたし、メディアはこぞって『ノストラダムスの大予言』の五島勉を「社会に害悪をばらまいた仕掛け人」として叩きまくった。
 だが、この「終末ブーム」は、あくまで当時のカルチャーのメインストリームに位置するものだった。単に「そういう俗悪なコンテンツも存在した」という話ではなく、「終末」こそが当時最大の娯楽だったのだ。

 これは『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』の驚異的な売り上げを見ればわかるだろうし、今では封印作品になっている『ノストラダムスの大予言』の映画版は、堂々と「文部省推薦作品」として公開されている。このときの映画の興行収入を見れば、1位は『日本沈没』、2位が『ノストラダムスの大予言』。大人も子どもも夢中になり、まさに日本は一億総「終末祭り」状態だったのである。この状況、今の若い世代にはまったく想像がつかないだろう。「誰も彼もがおかしくなっていた」としか思えないのではないか?

終末4

1973年の『小学四年生』(小学館)の予告記事より。「終末画」は主にマンガ雑誌に掲載されたが、小学生向け学習雑誌にも多く見られた。自然災害のしくみや防災の観点から一応は教育的な内容としてまとめられた記事に、必要以上にエグいイラストを配するというのが定番スタイルだったのである。

 たとえば「国策」イベントだった大阪万博。ここにも「終末」の気分は濃厚に漂っていた。「人類の進歩と調和」をテーマにするこのイベントは「輝かしい未来の科学」を標榜する一方で、「このままだと人類は滅ぶ!」という警告をも「見世物」として提供していたのだ。
 超人気パビリオンのなかでも代表的だったのが「三菱未来館」だが、ここではエントランスをくぐった途端に大地震と大火山の噴火による「世界の終わり」を体感できる巨大パノラマを見せられることになる。あの時代ならではの万博の「躁鬱」的側面を知りたければ、ぜひ『公式長編記録映画 日本万国博』をご覧になっていただきたい。国家の思惑と当時のカウンターカルチャーの攻撃性、そして時代の狂気・不安がごちゃまぜになった世にも珍しいイベントだったことがわかると思う。天文学的予算を投じた前衛的で超巨大な「見世物小屋」の集積だ。

終末5

大阪万博「三菱未来館」のパンフより。このパビリオンは、入るといきなり特殊な立体スクリーンによって「地獄絵図」を見せられる趣向になっていた。内容は大水害と火山の大噴火によるディザスター映像。水の地獄と火の地獄の二本立てだ。「逃げ出したいほどの恐怖感にあなたをおとし入れます」と書かれているが、完全に見世物小屋のノリである。

 というわけで、今回はイントロ部分のみで終わってしまったが、次回からしばらく少年時代の僕らを魅了したさまざまな「世界の終わり」、名匠たちによる珠玉の「終末画」をご覧いただこう。


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