
樹木の神気を心身に取り込み、守護神にする! 「御神木」開運法/本田不二雄
今、巨樹・神木が密かに注目を集めている。神社や寺院の境内、山や里のしかるべき場所で悠久の時を超えてそそり立つ揺るぎのない存在感は、昔も今もわれわれ日本人の精神を揺さぶってやまない。
今回は、古来伝承されてきた御神木への流儀と作法を現代に復刻し、古くて新しい開運成就の祈願法をご提案したい。
(ムー 2021年3月号・実用スペシャルより)
文=本田不二雄(神仏探偵)
取材協力・指導=き りん(占呪術師/嶽啓道)
大地の見えざる力を知らせるご神木
神仏探偵を自称し、カミやホトケが坐す“場”を訪ねることを重ねる旅の途中で、筆者の前に浮上してきたのは“木”そのものだった。
いわゆる御神木と呼ばれる巨樹である。
端的に、それらはすごい存在である。この「すごい」には、ぞっとする、恐ろしい、気味が悪いといったネガティヴな意味と、尋常ではない、素晴らしい、天晴れであるといったポジティヴな意味が相半ばしている。ざっくりといえば、ぞっとするほど素晴らしい存在。いい換えれば、われわれの内なる精神を揺さぶる存在である。

青森県五所川原市の「十二本ヤス」。12本の支幹が天を衝く異相で、山の神として崇められてきた。
もちろんそれは天然の植物にはちがいない。だが、われわれ日本人は古来、特別な木を聖別し、あつく祀ってきた。現在も、神社の多くで(ときには寺院境内にも)注連縄(しめなわ)が巻かれた御神木を見ることができる。
もとより、境内の樹木はむやみに伐ってはならないといわれてきた。なぜなら、そこには神霊が宿っているというのが古くからのセオリーだったからである。御祭神の数が一柱、二柱と数えられるのはその証である。
ただし、社寺の境内にあるものだけが御神木ではない。
拙著『神木探偵』の取材中、山や森の奥、あるいは里のど真ん中にそびえる巨大な樹相に相まみえ、言葉を失うこともしばしばだったのだが、それらの根元にたいてい小さな祠があり、注連縄がめぐらされるか、鳥居が建てられていた。
実は取材をはじめる前、自然物としての巨樹と、信仰対象としての神木を同一視してよいのかどうか疑問もあった。しかし、取材を進めるほどにその疑問は意味をなさなくなった。
たとえ深い山中にあっても、尋常ではない巨樹が発見されれば、それを無視することはできず、山の神として祀り、結縁の証を残さずにはいられない。それが日本人の古くからの習い性であることを筆者は思い知ったのである。結果、こうした流儀が全国各地で展開され、日本は「御神木が幸(さき)わう国」となった。
ところがいま、その流儀の多くは失われている。
なぜなら、素朴な神木祭祀は有史以前にさかのぼると考えられる一方、それらの多くは民間(民俗)信仰や山岳修験の流れをくむ行者らによって個別に細々と伝承されたもので、もはやその担い手そのものがいなくなりつつあるからだ。

『神木探偵―神宿る木の秘密―』本田不二雄 著(駒草出版)。カバー写真は「武雄の大楠」(佐賀県武雄市)。全国の御神木69柱を掲載。