「正統竹内文書」を継承した孤高の祭祀王・第73世武内宿禰 竹内睦泰/布施泰和
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「正統竹内文書」を継承した孤高の祭祀王・第73世武内宿禰 竹内睦泰/布施泰和

かつて紙幣の肖像にもなった武内宿禰(たけうちのすくね)が、21世紀の日本で活躍していた!
1700年前から続く裏神道の祭主にして、後南朝のリーダーでもあった竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏である。その竹内氏は2020年1月13日、53歳の若さで亡くなった。本稿では、自らを「無茶苦茶むっちゃん」と称した彼の波乱万丈の生涯を追悼し、ここに振り返る。

文=布施泰和

秘密結社竹内神道と武内宿禰の秘密

 千葉県房総半島――。
 東京湾と内房線を望む高台に、第73世武内宿禰(たけうちのすくね)こと故・竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏のための前方後円墳が現在造成中で、2021年1月13日には1年祭が催された。青空にトンビが悠然と舞い、緑の自然が広がり、ほのかに潮風の香る、なんとも心安らぐ場所だ。
「夢は、死んだら前方後円墳に入ること」が、竹内氏の生前からの願いであった。そこで死後、家人や有志が集まって、この夢を実現させる計画が進められた。そして、現代に生きた「武内宿禰」の証として、「前方後円墳」が造られることになったのである。

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第73世武内宿禰こと故・竹内睦泰氏が眠りにつく造成中の前方後円墳の上に台座が設置され、古神道に則った1年祭の神事が行われた。

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前方後円墳は、東京湾と内房線を望む高台にある。青空にはトンビが舞い、ほのかに潮風の香る場所だ。

 現代に甦った秘密結社の神主・武内宿禰とは何者だったのだろうか。

 竹内氏は、19歳のとき唐突に、正統竹内家(正統竹内神道管長職家)を支える竹内神道の長老や、後南朝の参議、蔵人クラスの幹部を名乗る者たちの訪問を受けた。彼らは竹内氏に、空位となっている古神道宗家「武内宿禰」を襲名し、裏神道の祭主兼後南朝のリーダーになってくれと、告げたのである。まさに寝耳に水であった。
 しかも、その理由がオカルトじみていた。1767年12月に亡くなった「武内宿禰」が「100年後に王政復古を成し遂げたのち、99年後に甦る」と予言していたからだというのだ。確かに、100年後の1867年には明治維新という「革命」によって王政復古は成し遂げられた。その99年後は1966年であるから、その年の12月17日に生まれた竹内氏は、まさに「99年後に甦った武内宿禰」ということになる。

 彼らは、「武内宿禰」が空位となった理由も竹内氏に説明した。
 幕末から明治にかけて、越中国(現在の富山県) 射水(いみず)郡二上山の武内宿禰陵から、何者かによってご神体石などの宝物や古文書類が盗みだされてしまった。そのショックで第72世武内宿禰こと第12代竹内三郎太郎の子供は「霊嗣之儀式[ひつぎのぎしき](正統竹内家の祭祀権相承の儀式)」が執行できず、名前も12代続いた三郎太郎ではなく、三太郎を戸籍名としたのだという。つまり、継承者がいなくなってしまったのだ。

第七十三世武内宿禰

第73世武内宿禰こと、故・竹内睦泰氏。19歳のときに、古神道宗家「武内宿禰」を襲名し、裏神道の祭主兼後南朝のリーダーになってくれと、告げられた。

3つの流れを継ぐ「武内宿禰」の霊

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