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幻の東京五輪を悼む”結界神事”の記録ーー1938年の聖矛継走/鹿角崇彦

2020年東京五輪の開催に向けて、本日、2020年3月20日に、ギリシアで採火された「聖火」が、宮城県にある航空自衛隊松島基地に到着する。
ここで思い出されるのは、かつて幻に終わった「1940年の東京五輪」と、「1938年に催行された聖矛継走」である。
1938年、聖火のトーチでなく、聖なる矛が国土をつないだ理由とはーー? それは、神国日本が必要とした”結界神事”だったのだ!

文=鹿角崇彦

「伊勢神宮−明治神宮 戦捷祈願聖矛継走」なる催事

 オリンピックといえば聖火リレーがつきものだが、いよいよ本日、聖火が日本に到着した。

 近代オリンピック大会で初めて聖火リレーが行われたのは、1936年、ナチス政権下で開かれたベルリンオリンピックでのことで、五輪と聖火が切っても切れないものとして定着していくのはこの大会以降のことだ。2020年の東京五輪でも、ギリシアから日本にもたらされた聖火は、東日本大震災の被災地をはじめ、全国47都道府県をめぐることになっている。

 ところで今から82年前、昭和13年(1938)の日本において、ある特異なリレーが行われていたことをご存じだろうか?

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当時の「日本陸上(臨時増刊)」(国会図書館デジタルアーカイブより)。

 それは、伊勢神宮でお祓いをうけた7本の聖なる矛を東海道筋の神社に奉納しながら、東京・明治神宮を目指して500キロ超の長距離を継走(リレー)する……というもの。
 スポーツとも、儀式とも、神事ともつかない大会、その名も「伊勢神宮−明治神宮 戦捷祈願聖矛継走」だ。
 今ではほとんど知られなくなっているが、当時この大会は「聖矛継走」と呼ばれて新聞でも盛んに報じられていた。なにしろリレーには走者、伴走者だけで1万5千人もの国民が参加していて、この大会だけの特集号をつくった雑誌もあったほど。その記事からは走者の一団が行く先々で歓迎を受けていた様子もうがかえる。

 継走は日本陸上競技連盟と大日本体育協会の共催で、その意味ではれっきとした「体育大会」だった。一方で、「戦捷(勝)祈願」という名前からもわかるように、大会は前年(昭和12年)に勃発した日中戦争(当時の日本での呼び方は「北支事変」)の勝利を祈願するという名目で行われたものでもあった。のちに「泥沼」といわれることになる日中戦争だが、この頃はまだ多くの国民が早期の終結を信じていた時代でもあったのだ。

①伊勢神宮宇治橋前にて、主催者から矛をあずかる継走の選士。(「アサヒグラフ」同号より)

伊勢神宮宇治橋前にて、主催者から矛をあずかる継走の選士。「アサヒグラフ」昭和13年11月23日号より。

 しかし、伊勢神宮から明治神宮の間を、聖なる矛を携えて1万人以上の国民が疾走するという行為が、本当に「スポーツ振興」と「戦勝祈願」の意味しかないものだったのだろうか。目的に対して、規模や内容が不釣り合いに大きくみえてしまうのだ。そこには何か、隠された目的があったのではないか……。
 当時の新聞や雑誌記事などから聖矛継走の様子を再現しつつ、その謎に迫ってみたい。

伊勢・東京を「聖矛集団」が走破

 昭和13年(1938)11月4日、明治天皇誕生日として国を挙げて祝われた「明治節」の翌朝に、伊勢神宮内宮の神楽殿にはるばる東京から届けられた7本の矛が運び込まれた。
 矛は全長約2メートル、矛先だけで6寸(約18センチ)あり、その付け根には立派な金蘭のヒレが下げられている。東京神田の神具職人が謹製したホンモノの祭具だ。

 午前11時、陸連会長や宇治山田市長など名士列席のもと、神宮神職による矛の修祓(お祓い)が行われる。これで7本の矛は特別な「聖矛」となる。このうち1本はそのまま伊勢神宮に献納され、残りの6本は高々と天に掲げられ、継走の出発地となる宇治橋前に運ばれた。

②神田の神祭具職人によりつくられた聖矛。(「アサヒグラフ」同号)

神田の神祭具職人によりつくられた聖矛。「アサヒグラフ」昭和13年11月23日号より。

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当時の「日本陸上(臨時増刊)」(国会図書館デジタルアーカイブより)。

 ゴールの明治神宮に奉納する矛が正選士に、次の神社に奉納される矛が副選士にそれぞれ手渡されると、リレーは宇治山田市長が打ち鳴らす太鼓を合図に正午ぴったりにスタートを切った。宇治橋前には1000人を超える観衆が集まり、その様子はNHKラジオで全国生中継もされたというからその熱量が伝わってくる。
 こうして始まった聖矛継走は、11月4日〜6日の3日間をかけて、540キロの道のりを昼夜ぶっ通し、文字通り不眠不休で走り通した

 聖矛が奉納される7つの神社とは、伊勢神宮結城神社(津市)、熱田神宮(名古屋市)、三嶋大社(三島市)、鶴岡八幡宮(鎌倉市)、そして東京の靖国神社とゴールの明治神宮だ。
 結城神社は、南朝の忠臣・結城宗広を祭神として創建された神社で、熱田神宮は草薙御剣を神体とする日本屈指の大社。三嶋大社、鶴岡八幡宮はいずれも源氏からもあつく信仰された武功の神として名高い。7社には戦勝祈願にふさわしい武神と、皇室ゆかりの神社がバランスよく選ばれていた。
 概要や出発前後の様子をみるだけでもこれが普通のリレーでないことが感じとれるが、それは走者を「選手」でなくあえて「選士」と呼ばせているようなところからも伝わって来る。「選士」には選ばれた人というほかに、古代大宰府で国防の任にあたった兵士という意味もあるのだ。

④聖矛を移送するバスには、注連縄が張られていたようだ。

聖矛を移送するバスには、注連縄が張られていたようだ。「アサヒグラフ」昭和13年11月23日号より。

 また、正副選士が持つ2本以外の矛はバスに載せて運搬されたが、このバスがまた興味深い。その内部には矛を納める祭壇が設置され、車外にはしめ縄を巡らせて榊を立てるという特別仕様が施されていた。まるで即席の移動式神社とでもいった様相だ。

 矛は明らかに、駅伝のタスキや聖火のトーチとは次元の異なる、まさに「聖なる矛」という扱いを受けていたのである。

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聖矛奉納7社の地図。

スポーツではなく神事である

 リレーの看板を掲げながら、濃厚に神事の空気感を漂わせていた聖矛継走。国民の側でもこれをただのスポーツ大会とは受け止めていなかったようだ。

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聖矛継走を報じる「読売新聞」。

 聖矛の走るところ、沿道では日の丸が振られ万歳三唱が沸き起こったが、これはまだライトな反応。
 大会に密着した記者が記した「聖矛継走伴走記」(『陸上日本』増刊号掲載)によれば、静岡県内のある区間では継走の一団が富士登拝さながらに「六根清浄」を唱えながら走ったというし、一家総出で玉串を捧げて聖矛を迎える家族がいたり、選士や先導のオートバイに賽銭が投げ込まれることまであったりしたという。
 通過地域の人々にとって、聖矛継走は「神様が通過する」に等しいできごとだったのだ。

③2本の聖矛を掲げて東海道を走る一団。

2本の聖矛を掲げて東海道を走る一団。「アサヒグラフ」昭和13年11月23日号より。

 それを裏付けるように、継走のルートは矛が納められる7社以外にも多くの神社仏閣を経由するよう設定されていた。

 たとえば横浜では「関東のお伊勢さま」「横浜総鎮守」として崇敬される伊勢山皇大神宮が継走行程に加えられている。さらに都内(当時は東京市内)のルートをみてみると、神奈川県境の六郷橋を渡ったのち、六郷神社貴船神社大森神社品川神社泉岳寺増上寺愛宕神社、そして皇居(当時の呼び方では宮城)二重橋前靖国神社をはさんで、日枝神社神宮外苑競技場を経由して明治神宮と、これもまた実に多くの寺社が中継ポイントになっているのである。
 もしもこの大会が現代に行われていたら、さしずめ「神様駅伝」とでも呼ばれていたのではないか……などと想像してしまう。

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